無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9581日 よいお年を

今年も今日で終わりとなってしまった。平成から令和に時代が変わり、何となく世の中がよくなるような気もするが、どうなることやら。平成の時代は生活に追われていつの間にか時間がたったように感じている。

昭和天皇崩御の夜、一人でビールをのんでいると、寝たはずの3歳だった長男が起きてきたので、二人でその記事をもって写真を撮ったのが平成の始まりだった。

個人的には子供等も元気に成長して、両親も見送ることができたのだから、いい時代だったのかもしれないが、昭和の時代に比べると、なんか掴みどころのないのっぺりとした感じもしている。

言い方を変えれば、一国平和主義が行きつくところまで行きついた時代だったと言えるのかもしれない。平和平和と念仏のように唱えているうちに、金縛りにあってしまったかのようなこの閉塞感から逃れることはできるのだろうか。

先日、墓掃除に行った帰りに91歳の叔母の家に寄って、以前このブログで書いたことのある、「お宮のあやおさん」のことを尋ねてみた。「あやおさん」とは、父や叔母と同じ部落出身で、陸士から航空士官学校をでて加藤隼戦闘隊で中隊長をしていた人だ。昭和18年12月にチッタゴン空襲に向かったが、エンジン故障のため単機引き返し、そのまま未帰還となった。

叔母は、「出征するときには部落を2回も3回も回って見送られていったけど、すぐに戦死してしもたなあ。覚えとるよ。」と言った。

陸士、海兵両方に受かるほどの秀才で、運動も抜群でみんなに好かれていた「お宮のあやおさん」は当時は部落内だけでなく、村でもヒーローだったはずだ。しかし戦後誰もあやおさんについて語る人はいなくなってしまった。

そのことを尋ねると、「そうよな。」と言って黙ってしまった。

私が「戦争に負けたことによって、価値観がひっくり返ってしまったんかなあ。」と聞くとニコニコ笑いながら頷いていた。

これは悲しいことだ。戦争に負けたことは仕方がないが、勝ち負けと正邪は何の関連もないことだ。歴史はちょっと切り口を変えるだけで、見方は180度変わることもあるにも関わらず、偏った情報だけを一方的に流しつづければこんなことになるのかもしれない。

案外、この歴史の見方に関する価値観の変化というものが、昭和と平成が残した一番やっかいな置き土産と言えるのかもしれない。

是非とも令和で払拭したいものだ。

 

これで今年は最後となります。来年はより良い年になればいいですね。

みなさん良い年をお迎えください。