無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと8737日 「俺は銃を取って戦うぞ」

日本では今日も平穏な日々が続いている。朝の話題と言えば「今日は曇っているので山登りはやめておこう」などというくだらない話しかない。平和な日本に生まれて70年が過ぎ、漠然と今の平和が永遠に続くと考えている平和に慣れ切った一人の日本人となってしまったようだ。

戦争はどこか遠くの国で行われるもので、自分たちが被害を受けることはないという前提でしか物事が考えられなくなってしまったのはいつ頃のことだろう?

高校に入学した昭和42年の6月に第三次中東戦争、所謂六日戦争が始まった。その当時、昼休みに弁当を食べながらY君やM君W君S君達と戦争について話が弾んだことがあった。負ければ国が無くなるかもしれないイスラエルと同じ状態にこの日本が置かれたとき、我々はどのような行動をとるのかという問いに対して、Y君はためらうことなく「俺は銃を取って戦うぞ」と言った。勿論その場にいた全員がこれに同意した。

当時の高校生の親はほとんどが明治の終わりから大正生まれで、中心になって戦争を戦った世代だった。太平洋戦争ではなく大東亜戦争で、支那事変満州事変の世代だ。親だけでなく40歳以上の教員たちの間では戦争はついこの間の出来事だったに違いない。そんな空気の中では「俺は銃を取って戦うぞ」と言ったY君の考え方は当たり前のことだった。

昭和40年代に兄が防衛大学校に入った時、在職中にいつかはソ連が侵略してくるので、その時は命を無くすかもしれないと考え、また自分も将来船乗りをやっていると、徴用されて戦場にいくこともあるのかなと漠然と考えていた。

しかし、あれから50年以上が過ぎて、兄弟2人とも何事もなく平和な日本で無事定年を迎え、老体となりながら更に生きながらえている。「俺は銃を取って戦うぞ」と言ったところで体はいうことを利かない。うろうろしていると邪魔になるだけだ。結果的には何もせずに平和にどっぷり浸ったのは我々の世代だったというオチかもしれない。

我々の世代が極左の行動に押されて、言葉を奪われ行動を規制され、面倒だからと自己規制を繰り返してきたことが今の時代を生み出したということだろうか。

国のために戦うことや愛国心を持つことを笑い、国旗国歌を貶め、外国に媚びへつらい、歴史や教育を歪めることが平然と行われてきたなかで、いつのまにかそれの片棒を担いでいたのかもしれない。

しかし、そんなことがまかり通ったのも、私自身も含めて国民が日本が戦争に巻き込まれることは無いということを疑わないようになったからではなかったのか。

そんな夢の世界から現実に引き戻してくれたのがウクライナ侵略戦争だった。ふと冷静になって周りを見渡すと、核兵器を日本に向けた全体主義の三カ国に囲まれている。これはNATO諸国どころではなく、世界最悪のポジションではないのか。

今回の戦争で日本のいろいろな矛盾が沸き上がってきたが、それにしてもウクライナがどうとか、ロシアがどうとかという話がほとんどで、だから日本はどうすべきだという話がでてこないのはどうしたことだろうか。今回がまともな国に生まれ変わるための最後のチャンスかもしれない。

それにしてもあの時「銃を取って戦うぞ」と言ったY君は、今回のウクライナをどういう思いで見ているだろう?どこで何をしているか全く知らないが、できるなら一度会って聞いてみたいものだ。