無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9586日 Aさんの恋女房

先日、同じ職場にいた後輩のAさんから、野菜ができたから取りにくるように連絡があった。兼業農家で、勤務しながら奥さんと二人で米や野菜を手広く栽培しているが、再雇用期間も、来年3月終了するらしい。

多分年金のことを聞きたいんだろうなと思いながら、30分ほど車を運転してAさん宅へ向かった。一部のお金持ちは別にして、65歳になるサラリーマンにとっては年金は最重要事項だ。

このブログでも年金に関する記事もいくつか書いたと思う。私は64歳で辞めたからハローワークで失業保険ももらったし、その後の年金機構とのトラブルもあったりして、いろいろ面倒だった。しかしAさんの場合は、すでに65歳の受給年齢に達しているので、一時金をもらってそれで終わりで、特に面倒なことはないはずだ。

納屋の前でそんな立話しをしながら、無農薬栽培の、自分の足ほどもあるような立派な大根や、硬くしまった大きな白菜、長ネギ、それに干し柿までいただいた。

帰り際に「あと3か月たてば、年金をもらいながらの専業農家となり、そのまま気楽に一生農業ができるんだから、まさに百姓最強だろう。」と言うと、Aさんもニコッと笑っていたから、満更でもなさそうだった。

地元の高校を出てから48年間、私らが大学に行ってふらふらしていた時も、昼休みには家に帰って農作業をする生活を続けてきたんだから立派なものだ。本当に偉いと感心している。

多少歳はとったが、昔ミスなんとかと言われたらしい、その片鱗を残したAさん自慢の恋女房の○○さん

と二人に見送られて家を後にした。

あと9598日 憲法改正

憲法改正自民党の党是らしいが、いつになったら実行するんだろうな。大勲位中曽根元総理にしても、あれだけ大見えを切っていたのに結局何もしなかった。安倍総理衆議院参議院の選挙で勝ち続けているのに一向に進まない。野党のせいにしているが、それだけではあるまい。

いつになっても進まない原因の一つに、敢えて火中の栗を拾わなくても、9条に関しては、有事には解釈改憲で間に合うと思っているのではないだろうか。超法規的措置というやつだ。これで以前自衛隊のトップが更迭されたことがあったが、憲法が変わらない以上国民を守るためには、自衛隊は超法規的に動くしかないと考えるのは当たり前のことだ。

あわてて更迭したということは、口に出して言ってはいけないということなのかもしれない。しかし、本当は国民の多くはそう思っていたのではないだろうか。

法律通りやると、戦闘中に信号無視で警察に逮捕されるとか、移動中に速度違反で反則切符を切られるとか、ウィンカーが付いてない戦闘車両が道路を走ったら整備不良で減点とか、ほんと漫画の世界だ。今ではチャイナも朝鮮も既に知っているだろうが、初めて知ったときはびっくりして椅子から転げ落ちたことだろう。

軍法に匹敵するものがないので、捜査や警備は警察に任せることになっているが、警察は無法状態では役に立たない。まさに悪党に保安官が撃ち殺されていたアメリカ西部の開拓時代と同じ状況だ。そういう状況で、政府は憲法を遵守しながらどうやって国民を守ってくれるのか、きちんと説明する義務があるのではないだろうか。

それをしないで、自民党も口だけで何もしてこなかったということは、暗に有事の超法規的措置を認めているということだろうと信じている。

例えば今の憲法では正当防衛しか認められないから、攻撃されなければ反撃できないとか言われているが、これだって先に攻撃されたと言えばいいだけだ。参戦するためにアメリカもよく使った手だ。

それよりも、一番の問題はマスコミの誤った世論誘導かもしれない。最近でこそネットの普及ですぐに嘘がばれるようになり、こんなことをずっとやっていたのかと呆れた国民も多いことだろう。天網恢恢疎にして漏らさず。国民が知ることにより、戦争利得者が行ってきた様々な悪行が浮かび上がってくるかもしれない。

この間ある飲み会で、先輩が戦争に負けてみじめだったという話をしたので、「そうそう、戦争に負けてはいかん。負ける戦争はしてはいかん。」と言ったところ、私以外ほぼ全員が「それは違う、戦争はしてはいかんのだ。」反論された。

もちろん戦争は無いにこしたことはないが、最悪の場合も考えておく必要もあるのではないのか。防災に関して、最悪の場合を想定して準備しなければいかんと話している人たちも、こと防衛問題になると思考が停止してしまうようだ。

あと9606日 軍歌をうたう

先日、12年目になるテレビが壊れてしまった。32型シャープアクオスだが、シャープ液晶の最盛期の頃だろう、世界の亀山というステッカーが貼られていた。当時メイドイン亀山とかいって誇っていたが、落ちぶれ果てた今の姿を見ていると、栄枯盛衰は世の習いだということがよくわかる。

今度買った東芝レグザは、ネットに直接wifi接続ができるので、毎朝の掃除のときにはユーチューブで音楽を流している。音楽といっても主に軍歌だが。4年前のリフォームで窓も2重にしたので、少々ボリュームを上げても、ほとんど外には聞こえないはずだ。

以前のテレビはファイアースティックを使っていたが、反応が遅い上によく切れたので、結局使い物にならなかった。今のはリモコンにユーチューブ専用ボタンもついていてたいへん使いやすい。

私の軍歌好きは子供のころからで、小学3年生の時の正月に、兄とふたりで「懐かしの日本軍歌集」という本を買って以来、有名どころの歌はほとんど覚えてしまった。ばらばらになったその本の一部がつい最近まで家にあったくらいだから、よっぽど気に入っていたんだろう。

事変の頃からの歌はよく知られているが、日清日露の頃の歌はそれほど有名でもないので、勇敢なる水兵、爆弾三勇士、満州行進曲なんかは若いころ軍隊酒場に行っても歌える人はあまりいなかった。

軍歌集があってもピアノが弾けるわけでもないので、楽譜を見ただけではなかなかわからない。当時は軍歌のソノシート4~5枚入った冊子が本屋で売られていたので、時々それを買ってもらった。幸いにもうちの親は日教組に影響されてなかったようだ。

日本の軍歌や戦時歌謡は他の国のものとは違って、やたら勇ましいものばかりではない。「戦友」は有名だが「麦と兵隊」「ああわが戦友」「戦友の遺骨を抱いて」「父よあなたは強かった」「愛馬進軍歌」みんないい歌だ。

高校の英語の先生をしていた近所のF君のお父さんが「父よあなたは強かった」のspレコードを持っていた。プレーヤーが無かったので、F君に頼んで持ってきてもらって、当時通っていた小学校の放送室で一緒にこっそりと聴いたものだ。

聴きながらF君が「父ちゃんは、昔この歌を泣きながら聴いとったらしい。」とつぶやいた。F君のお父さんがどんな体験をされたのかは知らないが、このF君の言葉を今でも覚えているということは、おじさんにとってこの歌は悲しい歌なんだと、あの強く時感じたんだろうと思う。

去年久しぶりにF君に会った時にこの話をしたが、覚えていなかった。あれから60年たち、人も世の中も変わってしまった。

あと9618日 三島由紀夫事件

作家三島由紀夫が市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監室で割腹自殺してから49年になる。昭和45年11月25日、その日は授業をさぼって学生寮の自室のベッドに寝転んでラジオを聴いていた。

何時ころだったかは定かでないが、突然番組が切り替わり、三島由紀夫が市ヶ谷に立てこもっているというニュースが流れた。

当時、楯の会という名前は週刊誌なんかで知ってはいたが、どんな団体か詳しくは知らなかったし、中継でも、ヘリの音ややじに消されて何を言っているのかよくわからなかった。

その後割腹して介錯するなどと思ってもみなかったので、いったい何をやっているんだろうと軽い気持ちで聴いていたのを覚えている。

その後49年間、この三島由紀夫事件が現実から歴史になっていく過程を眺めてきていろいろ感ずることがある。

私は当時19歳になったばかりだった。今から思えば所謂右翼的思想ではあったが、利己的であり中途半端なものだったような気がしている。その後生活状況の変化や、日本の経済成長、バブル崩壊と続く中で、そんなものはどこかにおいて行かれてしまった。

兄が海上自衛隊にいたので、ほかの人たちよりは国防に関心はあったが、多くの日本人がそうであったように、国の繁栄は永遠に続いて当たり前という感覚に酔っていた。

昭和20年以降も常に戦争は世界中で起きているし、多くの人が死んでいるにもかかわらず、日本だけは今のままで、おとなしく商売をしていれば大丈夫という 根拠のない思い込みが蔓延していた。

そして自分の中では三島由紀夫事件も風化しつつあった。

人命は地球より重いと言って世界から笑われた総理大臣がいたが、戦後はそれを当然とする世論があったのも事実だ。マスコミを中心に、命より重いものがあると語ることもタブーだという、軽薄な流れもあった。

自分の中でそれがはっきりと揺らいできたのは、あの東日本大震災だった。地球よりも重いはずの命が、なすすべもなく失われていくあの映像は衝撃的だった。

広範囲にわたって警察も消防も機能しないとき、唯一秩序をもって動けたのは自衛隊だけだった。普通の国なら戒厳令が敷かれていたはずだ。

この時、自衛隊が国民を守る最後の砦だと誰もが認めたということは、まさに平成23年3月11日とは、逆の意味で、檄にある「昭和四十四年十月二十一日」に匹敵するのではないだろうか。そして多くの人の記憶の中に、三島由紀夫が改めて蘇ってきたのではないだろうか。

「しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。」

檄の最後だ。共に起ち共に死ぬものは他には誰もいなかった。あるいは急ぎすぎたのかもしれない。この時の三島由紀夫の年齢を20歳以上超えてしまった今、生と死の問題と向き合う機会も多くなったが、何かの為に死ねるか、と問われたら自分なら何と答えるだろう。

あと9627日 英才教育

この間朝のテレビで、答えは正しいのに、習ってない掛け算を使って解いているという理由で×になったのはおかしいといって、日本の教育行政が悪いという結論に導いていた。確かに教育行政でおかしなことはたくさんあるが、今回の問題に関しては首をひねらざるを得ない。

そもそも、小学校の算数というものは答え出すだけではなく、その考え方を身につけることが大切だということになっているのではないだろうか。

答えを出せばいいというのなら、小学校で鶴亀算なんかやらなくても方程式で簡単に解ける。学校の進度よりも先に知りたいのなら塾へ行って習うのは自由だが、たとえそこで掛け算を習ったからといって、学校の試験ではそれは使えないのは当たり前だ。

これをいうと、飛び級のない日本はとか、英才教育を認めない日本はとか、さもアメリカなんかの制度が優れているように言う人がいるが、決して先に知識を得た人が優れているわけではないし、そんなことが教育の目的ではないはずだ。

多くの人が勘違いしているのが、量と質の問題だろう。

大学生が小学校に行けばそれはよくできることだろうが、たとえ試験はいつも満点であったとしても、誰もその大学生を優秀だとはいわないだろう。量の問題だとわかっているからだ。

10年たてば誰でも追いつくことができる。しかしそれが同学年の子供同士になると曖昧になる。

子供の時に勉強ができるからといって、飛び級して15歳で大学に入ることできたとして、それで幸せになれる人は、質の違う天才と呼ばれるほんの一握りの人にちがいない。

昔から、十で神童十五で才子二十過ぎればただの人といわれるように、神童と呼ばれて早いうちに知識をため込んだところで、そのほとんどは二十歳を過ぎればストックがなくなって、普通にやってきた人たちに並ばれてしまう。

そうは言っても、18歳で入った大学で将来が決まるこの日本では、スタートダッシュで二十歳までアドバンテージが保てれば、それはそれで価値があるのかもしれないが、長い目で見たら教育資源の浪費としか思えない。

本当の英才教育をするなら、質の違う天才を発掘して育てることが大切で、二十過ぎればただの人に、それを求めても意味はない。

あと9637日 忘却願望

この間家族みんなが集まったとき、母が84歳で死んで、父が94歳で死んだのだから、二人とも十分長生きをしたという話になった。確かに、今32歳の長男や29歳の次男、35歳の長女のように、先の長い者とってはそうともいえるのだろうが、68歳の私にとっては、84歳まであと16年しかないことになる。

母が84歳で死んだとき、私は53歳だったが、84歳は年齢的には不足はないと考えていた。しかし、あと16年かと思うと、84歳はそれほど長生きでもないような気がするから勝手なものだ。

100歳まで生きても元気であればいいという人もいるが、私はそうではないと思っている。100歳まで生きていったい何をするんだろう。子や孫の為にも、ほどほどに死んでやるのが一番だろう。いくら生きることに価値があるとはいえ、浦島太郎では面白くもない。

もちろん親が死んで喜ぶものは誰もいないと思うが、年を取って老老介護状態になることを考えると、誰にでも寿命の切れかけた老親が重荷になることもあるはずだ。

また、年を取るということは、肉体だけでなく精神面でも年を取るということだ。仕事を辞めて5年目になるが、そのほとんどを家で過ごしていると、やることはいくらでもあるとも言えるし、またないとも言えるという、極めて不安定な状況にいることに気が付くことがある。

何をやったところで具体的に生み出すものは何もないので、どう感じるかはその時の精神状態に左右されることになるんだろう。

すべてが自由という状態の中で、日がな一日1人で自分と向き合っているということは、多くの人には耐えられないことだと思う。ちょっとした気の持ちようで、人生バラ色になったり暗黒になったり、客観的に観察していると、おかしな生き物に思えてくることもある。

例えば、楽しいことも嫌なことも、自分とは何の関係もないし、何の色もついてない一つの現象にしかすぎないのに、楽しいとか嫌とか、自分勝手に色付けして、勝手に悩んだり、喜んだりしているんだから、どう考えてもおかしいだろう。滑稽な独り相撲か、あるいは道化師か。

結局忘れるしか逃れる方法はないかもしれないが、案外心の底にあるこの忘却願望が、無意識のうちにボケにつながっているのかもしれない。

寿命とはいえ、できればボケる前に元気に死にたいものだ。

あと9645日 孫7人と少子化

子供等が小さいときは、子供等を養うために仕事をするという、大きな目的が確かにあった。その子供等もすでに成人して家庭を持ち、孫も7人できた。7人もいると名前がすぐに出てこないこともある。

社会の役に立ちたいなどとたいそうなことを考えたこともなかったし、実際たいしたことはしてないが、孫が7人いるということで多少は社会の役にもたったかなと、ひそかに満足している。町内会でも同窓会でも、孫7人の話をすると驚かれるから、少子化は進んでいるようだ。

しかし、7人いると誕生日なんかも大変なことになっている。初孫の誕生日祝いで1万円あげて以来、2人目3人目くらいまでは気にならなかったが、4人目、5人目になるとさすがに響いてきた。

そして7人目が生まれた今年、とうとう5千円に改めた。

昭和20年代30年代、子供があれほどたくさんいたのに、彼ら彼女ら大人になったとき、なぜ子供を昔のようにたくさん作らなかったんだろう。もちろん金もかかるし、普通のサラリーマンにとっては大きな負担にはなる。

子供のために自分たちの生活を犠牲にしてきた、明治大正生まれの親の生活を見てきたはずの団塊世代が、自身の豊かさを追求した結果であるのかもしれないが、もとをただせば、戦後日本人がGHQパンとサーカスにまんまといっぱい食わされたということだろう。

女性に子供を産んでくれというだけでたたかれるという、今の時代ではあるが、そんなことを言って騒いでいるのは本当は少数だと思っている。サイレントマジョリティーはできれば子供が欲しいと思っているのではないだろうか。

それを阻むのはやはり経済的な問題だろう。

しかし高校までの教育費が無償になったからといって、果たして経済的に厳しい状況で子供を産む気になるだろうか。

子育て家庭で一番うれしいのは自由に使える現金で、それも、どこに行ったか分からないような額の児童手当ではなく、一人産んだらその子を20歳まで養えるだけの額の年金を20年間だすとか、思い切ったことを考えられないのだろうか。

金がないのなら建設国債ならぬ人材国債でもだせばいいとおもうんだが。これで将来への展望が開け、子供が増えて日本国将来の礎が盤石になると思えば安いものだ。

.....直接現金を配っても票や利権に結びつかないから、絶対やらないだろうな。