無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

善と悪と(あと10005日)

45年も前になりますが、仕事でアメリカのニュージャージー州パースアンボイというところに行った時、夕方変な格好をした子供が家を回っているのを見て驚いたことがあります。

この時、ハロウィンという行事を知りました。

渋谷のようなことはなく、こじんまりしたお祭りでしたが、その夜同僚がタクシー強盗にあいましたから、何か犯罪を誘発する要因があるのでしょうか。

ジキル博士とハイド氏ではありませんが、仮装するということは、人格にゆるみがでるのかもしれません。

そのゆるみから、他の世界が見えてくる、別に仮装しなくても誰にでもそういった小さな経験があると思います。

例えば、一人で瞑想しているときや夢の中には、普段は想像もできないような人格が浮かび上がってきて、困惑することがあります。

自分の人格が善だと思っていても、善の中には必ず悪も存在しており、悪の中にも善は存在しています。すべては相対的なもので、自分の中にはそのすべてが含まれていると感じざるを得ません。

更には、絶対的な善があるとして、それを知りたいと願った時、それを求める過程で絶対的な悪も見なければならないとしたら、それに耐えられない人は、初めから求めてはいけないということではないかと思います。