無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと8770日 太平の眠りを覚ましたウクライナ

生きているうちにヨーロッパで侵略戦争が勃発するとは、ついこの間まで考えたことも無かった。まさか常任理事国が大軍を動かして隣国と全面戦争始めるとは。人生何があるかわからないものだが、太平の眠りを覚まされたと感じている人も多いのではないだろうか。

しかしこの70数年を太平の世だと思っていたのは日本人だけだったのかもしれない。ちょっと現代史を眺めてみれば、大東亜戦争後どこかで戦争が続いているということは子供でもわかる。日本が直接かかわらなかったというだけのことだ。

70数年間、中国もロシアもあの北朝鮮でさえも惰眠をむさぼってはいない。独裁国家がいいとは言わないが、国を守るためには何が必要か、現実の世界をきちんと見て対応している。今回のウクライナの惨状をみれば、国が蹂躙されるということがどれほどの悲劇をもたらすかよくわかったはずだ。

ウクライナは、国土が蹂躙されて軍民で戦った沖縄決戦と同じようになっているのではないだろうか。ただ、孤立無援だった当時と比べて、西側諸国からの支援があるウクライナは恵まれているといえるのかもしれないが、多くの悲劇を生むことには変わりがない。本土決戦だけは避けなくてはならない。

核兵器に関する議論をするべきだという国民が6割を超えたという調査結果もあったようだが、今回のウクライナの惨劇を目の当たりにして、多くの国民が不安を感じている。国民の安全を守るという岸田政権は、具体的にどうやって守ってくれるのか、そろそろはっきりとした処方箋を示してほしいものだ。

実際にロシアは侵略して、核による恫喝を繰り返している。しかも常任理事国だ。同じような国が近くにもある。数分でミサイルは飛んでくるので防ぎようはない。この場合どうやって国民を守るつもりなのだろうか?

こういうと必ず、話し合いでそういう状況にならないようにできると禅問答になるが、領土の問題はどちらも引けない。結局は核で恫喝され、国民は死ななかったが国土は失ったということのなるのだろう。これが際限なく続いたとしたら、果たして国民の安全が守られたということになるのだろうか。

以前から、侵略戦争を始めたら国際社会が黙っていないという意見があった。確かに今回の国際社会の経済制裁はよく利いているし軍事支援も行われている。しかしなぜ西側がこれだけまとまったかというと、ウクライナが国民を犠牲にしても善戦しているからだといえる。「人命は地球より重い」と言って1日で手をあげていたら、ウクライナという国は今日3月21にはもう地球上からなくなっていたことだろう。

例えば核の恫喝とともに尖閣列島、南西諸島へ侵略があった場合、或いは北海道へ侵略があった場合、日米安全保障条約があったとしても、まずは日本人が戦う意志をみせなければ米軍が助けてくれるわけがないではないか。日本人が話し合いで解決しようとして、あの時のように「人命は地球より重い」などと言おうものなら、誰も助けてはくれず、あっという間に世界地図から消えてしまうだろう。

今回のロシアの侵略によって、社会の流れは「無いだろうから、あるかもしれない」と大きく舵を切っている。平和を前提とした言葉遊びは終わった。ヨーロッパでも軍備増強の話が出ているし、イギリスも核は維持するだろう。核による恫喝を認めてしまえば、核を持とうとする国も増えるだろう。国防上の観点からも、原油に頼らないエネルギーも必要になり、原子力発電所再稼働、クリーンな石炭火力発電再開に進むのではないだろうか。

今回、もしウクライナに核があれば侵略されなかっただろうということから、最終的に国民を守るものは力でしかないということがわかってしまった。どの国も力を持ちたくなるのは当たり前だ。結局軍備を充実し、同盟関係を築き、周囲に隙をみせないということしか、国民を守る術はない世界になったということだろうか。