無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと8558日 父の話から~水原高等農林学校

その出動命令が出た時、父は井上上等兵に頼まれて、町に焼酎を買いに出かけていた。「○○酒店に注文してあるからもらってきてくれ。」と言われたので、受け取ったらすぐに帰るつもりだったが、店の主人に勧められるままに酒を飲んでいるうちに時間がたってしまった。

焼酎の入った「うむすけ」を担いで急いで帰ったが結構遠かった。宿営地が近づくと中から「気を付け」という中隊長の声が聞こえた。門の近くで井上上等兵が待っていた。「出動命令がでた。お前の私物は全部持ってきたからすぐに集合せい。」と言われたので、大急ぎで「うむすけ」を抱えたまま集合した。

そのままトラックに乗って水原高等農林学校に向かった。トラック上でもみんなで焼酎を飲んで酔っ払ってしまった。

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まことにのんびりした終戦直前の平和な朝鮮半島の光景だ。末端の二等兵にとってはどこかで戦争をやっているらしいくらいの感覚だったようだが、それから一か月もしないうちに朝鮮半島がこの世の地獄に変わるのだから皮肉なものだ。さて、宿営地である水原高等農林学校の校庭で過ごした最後の夜に父は大失態をしでかした。

歩哨は軍隊では重要な職務である。歩兵操典に『絶えず四囲を警戒し、近づくものあらば「誰か」と呼ぶ。三遍呼ぶも答えなければ、殺すか又は捕獲すべし』とあるように、特に外地においては生死をかけた職務であった。なんと、寝過ごしてその歩哨に立たなかったのである。

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その夜寝ていると、歩哨が交代だと起こしに来た。交代の手形代わりに使われていた班長の腕時計を受け取ったが、そのまま寝てしまった。しばらくして気が付いて、あわてて手探りで時計を確認すると、3人後の順番の時間になっていた。焦ったが仕方ないので今の順番になって者を起こした。後から飛ばした2人に謝ったら、よく寝られてよかったと逆に感謝された。翌朝、何事もなく龍山駅から咸興に向かうため貨車に乗った。

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父もさすがにこの件に関しては冷や汗をかいたようだが、咎められることも無かった。すでに軍隊が軍隊として機能してなかったということだろうか。その後龍山駅で咸興へ向かう貨車に乗り込んだ。ここで現実を知らされることになる。