無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと8252日 お盆とコロナ

今年のお盆は、女房がコロナに感染したのであわただしく過ぎてしまった。予定していた焼肉パーティーの中止は仕方がなかったが、なんと13日に迎え火を炊くのも忘れてしまっていた。日付が変わった午前1時ころに思い出したが時すでに遅し。夜が明けてから少しだけ燃やしておいた。さて間に合ったかどうか。

この3年間あれほど多くの患者をだしコロナだったが、近所で感染した人は誰もいなかった。ところが5類になり人の往来が緩和された途端に、知っているだけでも女房を含めてすでに10人が感染している。その症状も軽いどころか、抗原検査で陽性が確定してから今日で2週間になるのにいまだに咳が続いている。

幸いうちは二世帯住宅の作りになっていて、生活の場所を別にすることができたので何とか感染は防げたようだ。夫婦で感染していたら大変なことになっていた。両親ともに既に亡く、子供らも家庭を持って出て行ったので、夫婦二人で過ごすには普段は無駄に広い家だったが、今回だけはそれが役に立った。

女房は仕事柄ワクチンを6回接種していたし、普段もマスクをして、流行した3年間と同じように注意して生活していたのだが、いとも簡単に感染してしまった。このことは、結局感染症の予防というものは個々人では不可能で、社会全体でやらなければ効果が無いということを証明しているのではないだろうか。インフルエンザも同じで、一時は感染者ゼロだったのにコロナに対する対策が緩むにつれて増えてきている。

今回のコロナ騒動は困難な3年間ではあったが、社会を挙げて取り組めば未知の感染症であっても感染拡大を防ぐことができるということが証明されたという点では大きな意味があったといえるのではないだろうか。

何の準備もできなかったが今年のお盆も終わった。迎え火を炊くのが翌日になったとはいえ、両親、小太郎ともおそらく間違えずに帰ってきたことだろう。16日夕方、送り火を焚いて見送った。