無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと8251日 イラン人とクルド人

上野あたりで、不法にテレフォンカードを売っているイラン人が野放しになっていると話題になったのは、今から30年も前になるのだろうか。当時、出張で東京に行ったときに見に行ったことがあったが、イラン人はガタイも良いし、確かに不気味だった。ニュースでも頻繁に取り上げられて大きな騒ぎになり、結局、ビザを復活すると潮が引くように消えてしまった。

現在はその当時以上に外国人の数が増えて、あちこちで問題を起こしているが一向にマスコミで取り上げられることがない。これは一体どうしたことだろう。法治国家においてその法が公務員によって正当に執行されない、或いは恣意的に執行されるということがあるとすれば本来社会を揺るがす大問題であるはずだが。

外国人の犯罪者を警察が見逃し、たとえ逮捕しても検察が不起訴にしてマスコミも記事にしない。記事になっても写真も氏名も公表しない。30年前にイラン人で大騒ぎしたあのマスコミがその危険性を一切報道しない。LGBTだとか韓国人女性のおっぱいが揉まれたさあ大変だとか、くだらないことで頭が一杯のようだ。バカになったのか。

30年前は今のようにネットが発達してなかったので、詳細を知ることはなかったが、イラン人は不法なテレフォンカードを売っていたが、現在の不法滞在クルド人のように一か所に住み着いて徒党を組んで警察署を包囲したり、事業をしたり交通違反をしたり、日本人を恫喝するような傍若無人な犯罪行為は少なかったのではないだろうか。それでも不法滞在のイラン人は送還した。

ビザ復活でこのイラン人の問題を解決したということは、当時は国会議員が動いたということで、現在もっと迷惑をかけているクルド人やその他の外国人問題など、国会議員がやる気になればすぐにでも手が打てるはずだということだ。ではなぜやらないのか?親族がインでネシアや中国で様々な事業をやっている議員もいるようだから、当時とは違っていろいろ都合があるんだろうがそんな都合は国民には関係ない。国民が望んでいるのは日本人が安心して住める社会であり、外国人はそのおまけだ。

与党に復帰した当時の自民党には私も含めて多くの国民が期待したが、結局元の木阿弥どころかもっと悪くなったのかもしれない。下野した時もずっと支持してきた岩盤保守層の多くの心は離れてしまったのではないだろうか。国民を舐めてはいけない。岩盤保守層の受け皿ができれば、おそらく自民党は多くの票を失い3~4党の連立政権になるだろう。