無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと8128日 なが~い航海(超勤記録簿)

ハマスの攻撃に対するイスラエルの反撃もエスカレートする一方だが、今度はイエメンのフーシとかいう組織が紅海を航行中の日本郵船が運行する貨物船を拿捕しただけでなく、今後航行中の船をミサイル攻撃するなどと言い出した。そこで大手船会社がスエズ運河を通らない喜望峰周りに変更することも検討中と発表した。

これをネットで知った時のデジャブ感はなんと言ったらいいのか、懐かしいと言ったらいいのか、やれやれと言ったらいいのか、 船乗りをやめる引き金の一つになったあの昭和48年の片道30日のなが~い航海を思い出した。

昭和48年10月6日、今年の10月6日で開戦50年となったあの第4次中東戦争が勃発してスエズ運河が通れなくなり、はるばるアフリカ南端喜望峰を回ってニューヨーク~カーグ島間の原油輸送に従事した。燃料節約のための経済速度で時速10ノット(約18km/h)くらいの自転車より遅いノロノロ運転が延々と続いた。

まさにその航海真っ最中の昭和49年12月の超勤記録簿がでてきた。

12月1日(日) カーゴポンプテスト 航海直

   5日(木) 入港シフトS/B (パースアンボイ入港)

   7日(土) シフトS/B (マンハッタン沖へ移動)

   8日(日) 出航S/B 航海直 (ニューヨーク出航)

   9日(月) 主コンデンサー掃除

  11日(水) ボート操練(エンジンテスト)

  12日(木) 補機グリースアップ

  18日(水) デ・スーパーフランジ修理 ボート操練(エンジンテスト)

  22日(日) ケープタウンS/B 航海直

  27日(金) ボート操練(海上に救命艇を降ろして実施)安全委員会

  28日(土) 缶定期ブロー

  29日(日) ピュリファイア掃除 航海直

  31日(火) 航海直

乗船から下船まで毎日8時間、コントロールルームの無いむき出しの機関室での航海当直をした後にやる超勤作業はだるかった。今では機関室内にコントロールルームのない船など存在しないし、機関科の航海当直が廃止されている船も多いので昔ほどではないにしても、大変な仕事であることには変わりはない。私は耐えられなかったが、この瞬間も家族と離れて遠い海上での激務に耐えている船乗りの皆さんには感謝しかない。

機関室の写真はパースアンボイにあった、向こうが霞んで見えるほど広いと言われたTWO GUYというスーパーマーケットで、250ドル当時のレートで約7万円程だして買ったPolaroidカメラで写したもの。下の写真は映画「ある愛の詩」でアリーマッグローが座ったあたりで撮ったもの。さすがエクタクロームだけあって、50年たってもそれほど変色していない。左に写っているのは先輩の岩崎二等機関士で、気風の良い兄貴分だったが、酒はビール以外禁止という非人道的な扱いの中でおこった船内のトラブルが原因で私より先にやめてしまった。その時のおもしろい顛末はまた後日。

機関室

セントラルパーク