無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10538日

 わしが生まれてすぐに今の場所に引っ越して来たから、今年で66年目になる。うちの家というのは、100m程離れたところに建っていたのを、一晩で引っ張って来て、今の場所に据え付けたものだが、建て付けもよくないし、あまり良い家でもなかったようだ。そして、その一部を改築して、おふくろが駄菓子屋を始めた。わしはこの駄菓子屋に関してはまったく覚えてないから、長続きはしなかったんだろう。

 親父に聞いたことがあるが、その頃はわしがまだ0歳児で手がかかったので、おふくろも1日中店番もできなかった。悪い事に、近所に手癖の悪い子がいて、その子が、おふくろが店にいないときを見計らってやって来て、万引きをするので、儲けにならなかったみたいだな。万引きで毎日持っていかれたら、1円や2円の儲けでやっている零細駄菓子屋なんかすぐにつぶれるだろう。

 仕事から帰った親父が、自転車で走って問屋まで仕入れに行っていた。製菓業をやっていた、わしの小学校の同級生の家にも、チョコレートピーナッツを仕入れに行ったことがあったと話していたから、自転車であちこち、アクティブに走り回っていたようだ。昔の人が元気だったのか、今の人間が弱ったのかどっちなんだろうな。

 昔、親父に、卸値は小売値より安いというが、問屋の人は買いに来た人が商売人かそうでないか、どうやって判断するのか聞いた事がある。「そりゃあ、普通の人は縫い針10本とか、まとめては買わんだろう。ある程度まとめて買うからわかるんよ。」と話していた。66年も前の事で、店の写真は一枚も残ってない。わしは想像するしか無いんだが、子供の頃に、糸とか、花火とか、2B弾なんかが、棚の上にまとめて置いてあったので、おふくろに聞くと、店の売れ残りだと話してくれたことがあった。

 それなら置いておいても仕方が無いので、わしと兄貴が2B弾を鳴らしてみたいと、親父に頼んでみた。何年も置いていた物で、火がつくかどうかわからんぞと言いながら、玄関先で親父が次々と火をつけて、景気よくパンパン鳴らしたんだが、親父やおふくろにしたら、クソ高い2B弾だったんだろうな。