無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

2025-01-01から1年間の記事一覧

あと7451日 死を認める勇気

十九歳の夏の終わり、隣の島にある空手道場へ、仲間とともに稽古に通っていた。あの夜の帰り、船の甲板で、隣にいた見ず知らずの男が突然、海に落ち、そのまま息絶えた。人はこんなにも簡単に、あっけなく死ぬものなのか――。その思いが胸の底に冷たく沈んで…

あと7451日 初の女性宰相

「木村君の兵学校時代の成績と言うものは120人中どんじりから数えて10番目ぐらいだったろう。若い時分は、思慮の浅さから大した男ではあるまいとたかをくくってつきあっていた傾きがあった。その真価というか、かれという人間の本当のえらさがしみじみ…

あと7453日 一病息災

「一病息災」という言葉がある。健康そのものが幸福の証のように思われがちだが、実際には小さな不調や持病を抱えていた方が、かえって体をいたわり、無理をしないために大病を防ぐという意味だという。なるほどと思いながらも、自分がその「一病」を持つ立…

あと7482日 映画の見方

映画館へ出かけることはなくなったが、ネットでは昔の映画をよく見ている。普通なら映画は暗闇に沈む大きなスクリーンでこそ真価を発揮するものだと思っていたが、昭和二十年から三十年代初期の映画に限っては、その常識がどうやら当てはまらない。パソコン…

あと7483日 嗚呼学生時代

十代の頃、私は地方の学生寮で暮らしていた。木造の殺風景な部屋で、冬になれば隙間風が容赦なく吹き込み、夜になると布団の中で鼻先まで冷え込むような環境だった。そんな部屋で、ある晩、同室の渡辺君と二人、火鉢に炭をくべながら暖をとっていたことがあ…

あと7490日 不思議な集合写真

昭和三十三年四月、小学校に入学したときの集合写真が一枚残っている。20年程前に偶然その写真を再発見した時、ふと不思議なことに気が付いた。普通ならば集合写真というものは校長や担任が中央に座り、その周囲を児童が囲むように配置されるものだろう。…

あと7512日 お盆に迎えた二つの老い

今年のお盆には、女房の母が泊まりに来た。九十三歳。足が弱く、ひとりでは歩けない。少し認知も進んでいるが、幸い外を徘徊することはない。それだけでも介護の負担は軽くなる。女房は「せめてお盆の間くらいは家で過ごさせたい」と言い、私は十四日の午後…

あと7514日 暴力、集団心理とスポーツ

スポーツの世界において「暴力」と「集団心理」は切り離して考えることができない問題である。特に日本の高校野球では、勝利至上主義と上下関係の厳格さが相まって、しばしば不健全な指導が正当化されてきた歴史がある。今回の広陵高校野球部における暴力事…

あと7517日 広陵高校野球部

広陵高校野球部の暴力事件が世間を騒がせている。だが、いちばんの問題は事件そのものよりも、学校が「こんなことが今の時代に通用する」と思っていたことにある。旧態依然の体質を放置するなら、教育に携わる資格そのものが疑われかねない。 野球部員は全員…

あと7544日 科学と非科学の交差点

インドで起きた航空機墜落事故で、「機長が誤って燃料弁を閉じた」という報道がなされ、物議を醸している。一方で、そうした重要な弁には物理的な安全装置が備えられており、単純な誤操作は起こり得ないという専門家の声もある。真実はどうなんだろう。 この…

あと7548日 熊との共存

近年、熊が人里に現れる事例が急増している。民家の軒先や小学校の校庭、果ては市街地のショッピングモール付近まで出没するニュースが珍しくなくなった。こうした熊に対して駆除を決定すると、自治体には「かわいそうだ」「殺すな」といった抗議の電話やメ…

あと7559日 「労働人口減」という幻想と「ゆとり教育」

日本社会の将来を語る際、もはや「労働人口の減少」は常套句となっている。経済成長の足かせ、福祉の財源不足、地方の衰退――あらゆる問題の“元凶”として語られるその数字を根拠に、自民・公明両党は外国人労働者の受け入れ拡大を「やむなし」と正当化する。 …

あと7574日 戦場で問われた指揮官の覚悟

昭和十九年秋、フィリピン戦線において日本軍は正念場を迎えていた。レイテ島に上陸した米軍に対し、陸海軍を挙げた反撃が行われたが、その戦況はすでに絶望的であった。そんな中、二人の高級指揮官が、まったく異なる決断を下すことになる。陸軍の富永恭次…

あと7575日 終戦の日の特攻ー宇垣中将はなぜ飛んだのか

昭和二十年八月十五日、正午。昭和天皇の玉音放送が全国に流れ、日本は連合国に降伏した。国土の焦土化、満洲の混乱、沖縄の地獄、都市の廃墟、飢え、病、そして死――それらすべてを呑み込んで、戦争はついに終わった。 ところがその夜、夏草茂る大分飛行場か…

あと7577日 あの舞台をもう一度

先日UNEXTで『男はつらいよ 寅次郎わが道を行く』を見ていたとき、東京踊りの華やかな舞台が画面に現れ、私の胸の奥に眠っていた記憶が呼び起こされた。浅草の国際劇場でSKDの「東京踊り」を見たのは、もう四十年以上も前になる。あれは単なる舞台ではなかっ…

あと7603日 1940年対独宣戦布告したならば

今の社会をみていると、間違った判断を繰り返し、国民を奈落の底につき落とし、塗炭の苦しみを味合わせた100年前の過ちを繰り返しているようにもみえてくる。あの時も、もう少し客観的に世界を見る目があれば、また別な展開もあったのではないだろうかと…

あと7606日 乃木大将と要塞戦

先日、東京からやって来た友人が「坂の上の雲」の熱心な読者であるというので、松山にある坂の上の雲ミュージアムを案内した。私自身は司馬遼太郎の文学的手腕を評価しているが、彼の歴史観、とりわけ乃木希典に対する否定的な描写には違和感を覚えていたた…

あと7608日 郵便配達は二度ベルを鳴らす

芸術作品に対する不自然な編集やカットが行われたとき、私たちはしばしば、その作品が本来持っていた魂や、作者が伝えたかった本質的な感情の流れを見失ってしまう。UNEXTで鑑賞したルキノ・ビスコンティ監督の『郵便配達は二度ベルを鳴らす』もその一例では…

あと7634日 ヘリ事故の教訓

4月6日にドクターヘリが不時着水して3人が亡くなるという痛ましい事故があった。ヘリの危険性に改めて気が付いた人もいるのではないだろうか。4月27日に父親の13回忌法要があり、兄夫婦も帰ってきたので元海自ヘリパイロットだった兄にこの件につい…

あと7634日 転倒は老化のバロメーター

高齢者の死亡原因の一つに転倒があるが、確かにその通りで転倒が原因で寿命を縮めた人を何人か見てきた。行政は家をバリアフリーにしたり手摺をつけたりすることを勧めるが、借家や賃貸に住んでいる人は大家さんの許可なく勝手に工事はできないし、費用の問…

あと7634日 死のイメージ

何時かは死ぬということはわかっていても、自分の死のイメージというものはなかなかわいてこない。親が死んでから死は幾分近くに感じるようにはなったとはいえ、手は尽くしたという安堵感もあるのか、普段は完全に忘れている。どちらかというと僧帽弁閉鎖不…

あと7669日 450回

令和5年8月5日(土)に初めてチョコザップに行ってから今日が450回目だった。若い頃のようにはいかないが、幸いなことに体は健康なので重りを持ち上げたり歩いたり、だいたい一時間半ほど体を動かしている。これは元気な体に産んでくれた親に感謝する…

あと7673日 孫とインパール

先日長男一家がやって来て晩御飯を一緒に食べた時、4月から中学生になる孫の口からインパールという言葉が出てきたのには驚いた。本人は近代史に興味があるらしい。戦争末期の大きな事件ではあるとしても、どうして突然インパール作戦に話が飛ぶのかよくわ…

あと7676日 真珠湾攻撃と山本五十六

戦艦大和、軽巡矢作以下駆逐艦8隻が出撃した4月6日が近くなった。毎年この頃になると吉田満著「戦艦大和の最期」を読み返しているが、戦う場を与えられなかった巨大戦艦の最期は哀れとしか言いようがない。もしもミッドウェーやガダルカナルで大和武蔵の4…

あと7702日 平泉への旅3

午後3時過ぎに平泉駅に到着した。幸いなことに雨は小雨になっていた。改札を出て周囲を見渡すと、広々として観光地らしく整備されているがほとんど人はいない。駅舎は古い歴史が売り物の街の駅としてはまぁ頑張っているほうかな、という感じだ。 コミュニテ…

あと7706日 平泉への旅 2

今夜は福島に宿をとっていたので、昼頃には平泉に行きたいと考えていたが、朝仙台で仙石線始発に乗り遅れてしまった。そのせいで代替バスの時間の関係で先に石巻に行って、鹽竈神社参拝を後回しにせざるを得なくなった。逆に石巻から鹽竈神社へ行くためには…

あと7710日 平泉への旅

藤原三代が栄華を誇った平泉、義経主従が最期を遂げた平泉とはどんな所なのか、若い頃から一度は平泉に行ってみたかった。それがやっと実現したのが平成26年(2014)のことだった。退職後に始めた青春18切符でまわる神社神宮参拝旅で、九州宇佐神宮、宮…

あと7726日 酒折宮参拝

父景行天皇に命ぜられるまま、東夷を平定したヤマトタケルはその還路、三峰山、足柄峠を越え酒折峠に来た時「にいはりつくば」の歌を詠んだ 「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」 すると、焚火の番人が答えた 「かがなべて夜には九日(ここのよ)昼には十日を…

あと7733日 井戸尻考古館にて

信濃境駅で電車を降りて井戸尻考古館へ向かった。駅周辺はタクシーどころか歩いている人もいない。寒風の中だだっ広い道を15分ほど下っていくと考古館はすぐに分かった。富士見町というだけあって遥か彼方に富士山が見える。 およそ5千年前の縄文中期、ここ…

あと7742日 最後の蟹パーティーのはずが

午前零時から新年の祝詞をあげて令和7年も始まった。何年も前から、3人の子供達もそれぞれの家族と新年を迎えるようになり、大晦日には誰も来なくなった。おかげで私もゆっくりと祝詞をあげて新年を迎えることができるようになったことは有難いことだ。さ…