無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと8791日 ウクライナ侵略戦争

全てが可視化され、一瞬して情報が世界を駆け巡る今の時代に、ヨーロッパの主要国でで侵略戦争が始まるとは多くの人が考えてなかったのではないだろうか。ロシアによる侵略は、ゲリラとの戦闘やクーデターの類ではない。正規軍が侵略目的で他国に侵入し、その国の正規軍と戦うというまぎれもない戦争だ。これが許されるならアメリカ合衆国は全世界を征服することができただろう。

恐らくプーチンは鎧袖一触と考えていたんだろうが、ネット情報によると意外と苦戦しているようだ。しかも西側から強烈な経済制裁をくらって株もルーブルも暴落している。この先国民はソ連崩壊の時のように塗炭の苦しみを味わうことになるのかもしれない。狂った独裁者を持った国民も哀れなものだ。

今回、プーチンはしばしば核の話を持ち出して、いつでも核戦争をするぞと恫喝しているつもりだろうが、そもそも核戦争による勝者はいないと自ら認めていたではないか。ロシアは通常兵器でも軍事大国らしいが、通常兵器も同じことだ。恫喝して敵に侵略する気を起させないことが目的であり、よその国に輸出して小競り合いをさせているうちはいいが、自らが侵略者となって使ってはいけなかった。

衛星国家で軍隊が自由に動けたハンガリー動乱プラハの春の成功体験で思考が止まっていたのだろうか。

まさにバルチック艦隊と一緒で、ネットでも「こわもてプーチン」とか、「おそロシア」とか言われていたが、今回のウクライナ侵略戦争を見て、世界中が案外そうでもないなと思い始めたのではないだろうか。

これには中国も驚いているかもしれない。この機会に台湾に侵攻するかもしれないなどという人もいるが、アメリカの最新兵器を手に入れたウクライナの善戦をみた台湾が、ロシアには劣るであろう中国の軍隊にやすやすと蹂躙されることは無いだろうということは、さすがに中国にも理解できるのではないだろうか。

それにしてもあの対戦車ミサイル「ジャベリン」はすごい。ニューギニアのブナで戦った人の手記で「速射砲があれば戦車はそれほど怖いものではない」と書かれていたのを思いだした。もちろん怖いというレベルが我々のレベルとは違うとは思うが、当時はその速射砲すらが破壊されて無かったというから、逃げ回るしかなかった。

速射砲よりもっと強力なジャベリンを持ったウクライナの軍人にとって、戦車は全く怖くないのかもしれない。たった10万ドルで何億もする戦車や4~5人の命を奪うことができるとしたら、こんなのを1000人が使えば甚大な被害が発生し、大国同士の全面戦争なんかできなくなるだろう。少なくとも大国同士の地上戦というのは今回が最後になるような気がしている。

あと8797日 70を過ぎて気が付いたこと

すでに人生の最終コーナーを回った身としては、来し方行く末いろいろ考えることはあっても、若い頃のように突き詰めて考えることはしなくなった。考えても仕方がないと言ってしまえば身もふたもないが、いくらあがいたところで明日か、或いは10年後かしらないが、いずれにしても遠くない将来お迎えがやってくるのだからそれもいいだろう。

最近気がついたことだが、なぜか70歳を過ぎたあたりから怒りがコントロールできるようになったようだ。2月の初め頃のことだが、生まれて初めて、理不尽な怒りをぶつけてきた人を冷静に説得して、間違いを認めさせるという離れ業をやってのけた。おそらく相手は以前の私のように自己嫌悪にさいなまれたことだろうが、こちらは気分爽快だった。

怒りをコントロールできるということが、これほど楽しいことだし、人生を豊かにできるとは思わなかった。これは70からでも遅くはない。若い頃から短気ですぐに切れて、ちゃぶ台返しをやった後で自己嫌悪に陥るという馬鹿なことを繰り返して、皆さんに迷惑をかけてきた身としてはうれしい限りだ。

もう一つ70を過ぎて気が付いたことがある。それは貧富の差が感じられなくなったということだ。寿命が無限にあると思っていた若い頃は億万長者は羨ましかったが、人生ほとんど終わってしまって気が付くのは、残り少なくなった年月を幸せに生きるために絶対に必要なのは、金ではなく健康な体と健康な精神だということだ。

その上に金があればなお結構だが、その優先順位は下がるということだ。

あと少しの間、健康な体と健康な精神さえあれば、家があって、毎日食べることができて、遊びにちょっと使える金があれば、他に羨ましいものは何もない。

あと8804日 若者に明るい未来を

どうやら北京でオリンピックが始まっているようだが、これほど興味のないオリンピックは生まれて初めてだ。そもそもオリンピックをやる資格がないとか、ウィグル問題とか、ベルリン大会の再来とか、うさんくさい話が付いて回っている大会だが、近代オリンピックもそろそろ終わりが見えてきたのかもしれない。

確かに一流選手が集まって競う姿は素晴らしい一面があることは事実だが、たかがスポーツだと言ってしまえばそれまでのことで、無くてもほとんどの人は困らない。

民主主義社会において、ネットのおかげでオープンになったのが国家意思の欺瞞性ではないだろうか。何かを目標として国民が一つになるのではなくて、国民はテレビや新聞等出版物によって、ただ単にその方向に誘導されていたのかもしれないということに気が付いた。

例えば昭和39年の東京オリンピックだが、あの時の国を挙げての熱狂は二度と再現できないだろう。令和3年の東京オリンピックがそれほどでもなかったのはこの意識の変化が原因で、コロナのせいだけではないと思っている。たかがスポーツでまとまることはもうないだろう。

しかしこれは良い傾向かもしれない。少なくともWGIPで日本国民が操られた3Sの1つ、スポーツの熱狂から幾分解放されて理性が戻りつつある証拠ともいえるからだ。

その一方で、戦後日本が高度経済成長できたのは、理屈ではなく国民が豊かになりたいと一生懸命働いたからであり、その原動力となったのは所得倍増に代表される、目の前のニンジンだった。明日は今日より豊かになると子供までみんな信じていた。早い話お金の問題だが、誰にとってもこれが一番敏感なところで、お金が増えるのを嫌がる人はいないだろう。

今でも池田勇人が表れて「私は嘘は申しません」と所得倍増を訴え、田中角栄が日本列島改造でもぶちあげれば、案外国民は一つになるのではなかろうか。平成の30年間、貧乏くさいしょぼくれた話は聞き飽きた。若者に明るい未来を感じさせる誘導はあってもいいと思うが、旗振り役がいないのが情けない。

あと8824日 山登りは楽しい

元日から始めた山登りは、雨が降らない限り毎日続いている。実際に始めるまでは、本当にできるかどうか心配だったが、やってみると実に楽しい。なぜ今までこれをやらなかったのかと後悔している。

今日も12時半に家を出て、千秋寺山~天神山~山越側に迷いながら降りて2時間ちょっとかかったが、天気も良くて快適だった。

ここの丘陵地は知っているだけで4つの山があり、最高峰でも天神山が海抜200m、あとは150m前後で、それを尾根伝いに歩いていくだけなのだが、落葉樹、常緑樹、竹林が入り混じっていて、アップダウンだけでなく周りの変化も面白い。しかもほとんど人と会わない。正月からほぼ毎日登っていて、5人しか会ってない

ただ、イノシシが定住しているので、こいつ等に出会わないことを祈っている。これだけの環境が家から10分の所にあるのだから、都会に住む人には考えられないだろう。

完全にリタイアしてこのブログを書き始めた時、子供の頃、夏休みになると明日は何をしようか、誰と遊ぼうかと毎日浮き浮きしていたように、年金生活もそれぐらい楽しいものなのだろうかと期待をしていたが、実際はそうではなかった。その経過についてはいろいろブログの中でのべてきた。

ところが今は山登りが楽しい。毎日、明日になるのが待ち遠しく、天気も気になる。確かにこれは夏休みになった時の子供の感覚に似ているような気がする。リタイア後の6年間の生活で、毎日が面白くないのは年齢によるものだと結論付けていたが、案外そうではないのかもしれない。

今思いつかなかったら一生山登りをすることはなかっただろう。山登りを始めるには、体力的にも今が最後のチャンスに違いない。このチャンスを生かして、この辺りの山から始めて今年中に石鎚山、来年夏には富士山に登るぞと宣言して、冗談だろうと皆に笑われている。半分は本気なんだけどな。

あと8832日 Uボート

ここ数日huluで「Uボート」を見ている。全部見たら300分ほどかかる。手元にあるDVD「Uボートディレクターズカット」デジタルリマスター版が209分だから、それでカットされたシーンが100分ほど余分に見ることができるということになる。これはおおいに期待できる。

Uボート」は戦争映画では最高傑作だと思っている。今までに何回見たか忘れたが、何回見ても飽きない。この映画が製作された1981年、新宿の映画館で封切られた時に友人のM君と見に行ったのが最初だった。

M君は練習船初代青雲丸で一緒にリオに行った仲で、1981年当時は2等機関士として外国航路に乗っていたが、ちょうど休暇で下船中だった。私はそれからしばらくして東京を離れた。そして38年、M君も元気でいるだろうか。SNSが無い時代の別れはあっさりしたものだった。

見ていると映画に無かったシーンがわかってくる。映画でよくわからなかったところがうまく繋がったりする。とにかく5時間もみても飽きない映画というのも珍しい。若い頃見た「旅芸人の記録」も途中休憩が入って4時間くらいかかった。これもすごい映画だったが、非常に疲れて何回もみたいとは思わなかった。

また、Uボートを見るときにお勧めしたいのはヘッドフォンで音を聴くことだ。スピーカーを通して聴いている時はわからない、微かな音が聴こえてくる。例えば爆雷攻撃を受けて極限の状態にある艦内がふと静まる時、微かに聴こえる時計の音。耳をすませば聴こえてくる微かな音を探すのもまた面白い。

とにかく興味が尽きない映画であることは間違いない。

 

あと8840日 浦島太郎

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

晦日の零時を回ってから新年の祝詞をあげて今年も始まった。そこまでは良かったんだが、なんと去年に続いて今年も元旦の国旗掲揚を忘れてしまった。

さて今年は、去年の年末に気が付いた肉体的老化が精神に及ぼす影響について実証してみようと、元日から山登りを始めた。「あと9038日ジャカランダに導かれて」にでてくる海抜157m千秋寺山だ。登れるかどうか心配だったが、案ずるより産むが易しということか、難なく登ることができた。過去6年間やってきた室内歩行毎日5000歩というのもそれなりに効果があったのかもしれない。

これは毎日続けるとして、年末に面白いものを発見した。我々の年代のものは、若い頃女性にせっせと手紙を書いたものだが、どれもそんなに長くは続かないし、終われば捨ててしまった。ところが、押入れを整理中に段ボールの底から手紙の束が出てきたのだ。

差出人は当時川越在住だったHSさんだった。20歳の時、雪の残る3月に長野で出会い、リンゴ畑の傍の道で別れた後、3年ほど文通したことを思い出した。

50年ぶりに1通取り出して読んでみたがこれが面白い。まるで浦島太郎のような感覚で新鮮な感動を覚えた。しかもHSさんの文章が上手なので非常に読みやすい。確か2歳年下だったからご健在なら今68歳のおばあちゃんになっているはずだ。

他の人からの手紙は残ってないのにHSさんのだけが残っていた理由として考えられるのが、その量にあるのかもしれない。おそらく東京を引き上げる時に処分しようとしたが、シュレッダーがあるわけでもないし、30通ほどあるのでゴミに出すのも気が引けるので、こちらに帰ってから処分しようと段ボールの底に押し込んだものだろう。そしてそのまま忘れてしまった。

その晩はもう1通読んだところでやめにした。面白いんだが、これがこちらのどんな手紙に対する返事かなどと考えるようになると、目がさえて眠れなくなってしまいそうだ。女性からもらった手紙を50年ぶりに読み返すという経験は誰にでもできることではない。普通はすぐに処分するはずだから、当然HSさんもとっくに処分しているだろう。

私のなんでも溜め込むという性格も影響したのかもしれないが、この偶然手に入れた稀有な体験をもう少し続けてみたい。

あと8851日 精神の老化

今年も残すところあと1日、人生残すところあと24年となった。たとえ24年あるとしても、今のままの状態で24年間を過ごせるほど甘くはない。気力体力がいつまで続くか、だんだんと自信が無くなってきたのも事実だ。

従容として死を迎えるということは、その瞬間に死を意識できるということであるから、それを望むなら今の意識を持ち続けなければならない。私にとってそれができなくなったらもう生きている価値はないともいえる。

幸いなことに、今のところ何の自覚症状もないので、フィジカル的にはこれといって悪いところはないと思っている。もちろん膝が痛い、腰が痛い、踵が痛い、肩が痛い、動きが遅い、後ろ周りができない、時々咽る、布団から起き上がるのが遅い等いろいろ老化の症状はあるが、こんなことは病気ではないし、耐えるしかない。

問題はそのフィジカル的な老化が、精神に及ぼす影響である。最近これに気が付いた。今でも公民館、民生委員などで時々家を出ることはあるが、それ以外はほとんど家で過ごしてきた。一種の人体実験ともいえる。思考によって精神は鍛えられ、老化は防げると思っていたが、どうやらそれだけではいけないようだ。

「フィジカル的な老化が、精神に及ぼす影響から逃れるにはどうすればいいか?」精神の老化をいかに防ぐか、少し視点を変えて、来年以降真剣に取り組む必要がある。

 

コロナもあり、世間にも自分自身にもいろいろ疑問を感じた一年でした。

来る令和4年が皆様にとってもより良き年となりますようお祈り申し上げます。

一年ありがとうございました。