無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと8959日 残念!河野太郎

今回の自民党総裁選挙だが、河野太郎には心底がっかりした。女系天皇結構、靖国参拝元号なんかくそくらえ、戸籍いらない、移民賛成、原発ゼロ、従軍慰安婦、親子二代のすがすがしいほどの無知、売国にはかえって潔さを感じていたんだが、総理大臣の椅子がチラついてくると、そんな衣はいとも簡単に脱ぎ捨ててしまったうえに、更に生まれて初めてのブルーリボンバッジ着用ときたもんだ。

親子二代の主義主張が正しかったのかどうか、苦節数十年、新自由クラブなんていうのもあったなあ。その成果を国民に問う機会がやっとやってきたというのに、自分から降ろしてどうするんだ。最後まで主張し続けてこそ河野太郎ではないのか。その河野太郎河野洋平あっての河野太郎ぞ。改めて親父の河野談話は正しいと宣言して突っ走れ。

1度裏切ったものは2度裏切る。世の中では裏切りものは誰からも信用されなくなる。これだけ主張をコロッと変えられると、普通は総理になったらまた変えるんじゃないかと思ってしまうが、あとは自民党員次第だ。そこまでは仕方がない。ただしそこから先はすぐに総選挙があるので、安倍のおかげで当選した陣笠のみなさん、ただの人にならないようトップはよく考えて選びましょう。

忙しいなか、河野太郎はインターネットを使ってさかんに発信しているが、じつは私は河野太郎がホームページを開設した頃から知っているし、メルマガのごまめの歯ぎしりも初期からのメンバーになっている。主義主張は合わないところもあるが、反保守的主張を変えないという姿勢には、主流派にはならないという潔ささへ感じていたのに、ほんとうにがっかりした。

いま総理の座を得んため、政治家としての主義主張を変えるなら、その理由を述べて国民に対して自己を総括するべきではないのか。回り道だとしても、それが総理を目指すものが歩むべき王道だと思う。河野太郎ともあろうものが、気が付いてないはずはないと思いたい。

最近会見でも少し小さく感じるのは、そこらあたりに忸怩たる思いをしているからなのだろうか。それならいいんだが。今からでも遅くない、一日も早く本来の姿に立ち戻り、小細工に走らず、総裁選では従来の主張を高らかにうたいあげ、見事に玉砕したとしても、それが民意だったら仕方がないではないか。信念を曲げない男、河野太郎という名前だけは残っただろうに。残念だ。

「文中敬称略」