無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと8305日 小中学校教員は日本人に限る

国旗を掲げることや国家を歌うことが憚られ、愛国心を持つことを子供に教えないどころか、それを否定する教育をすすめている公務員がいるらしい。とくに初等教育公務員には数千人の外国人がいるそうだ。公務員の国籍条項がなくなったからといって、義務教育課程の教員に外国人をいれるのはまずいだろう。

自分で考えて判断する力を持たない児童はどんな色にでも染めることができる。その役目を日本の将来に何の責任も持たない外国人にまかせていいわけがない。普通の頭があればちょっと考えたらその危険性に気が付きそうなものだが、役人や議員には理解できないのか、或いはわかったうえでなんらかの勢力に忖度したのか知らないが、このままでは取り返しのつかないことになりそうだ。

そもそもの始まりは、GHQが立派な日本人を育てることを禁止する目的で師範学校制度を廃止したことだ。児童教育は国が責任を持って関わり、その教員も国が養成するのが世界の常識ではないのだろうか。師範学校卒業後教職に就くことにより学費が無料となり、優秀なら高等師範学校さらに文理大と進むことができた。中学から帝大までと同じ教育を無料で受けることができたことになり、全国から優秀な若者が集まった。

これと比べて今の制度はどうだろう。どこの大学でもいいから4年間遊んでいるうちに教職に必要な課程をとれば誰でも教員になれる。各地の教員採用試験はコネがきくということは公然の秘密らしいし、大量退職の今ならまず落ちることはないだろう。こんな制度で本当に子供を任せられる教員を生み出すことができるのだろうか。

国立の教育学部は大丈夫だろうと思うかもしれないがそれはどうだろう。大学もGHQによる公職追放でまともな学者はクビになり、その後釜についたのがGHQの考えに沿った人たちだったから、70年たってもその系統が連綿と続いている。中には学生運動に熱中したものや、反政府ではなく反国家的な思想の持ち主もいるのが現実だ。

戦後のGHQの闇が少しずつ解明されてきているとはいえ、今回のLGBT騒動をみていると未だに米国の言いなりになっていることは明らかで、本当に独立国かと情けなく感じた国民も多かったのではないだろうか。GHQ憲法や改悪された教育制度を変えるとなるとその道のりは遠いが、少なくとも義務教育に従事する教員は日本人に限ると改めるだけでもかなり改善されると思う。これはやろうと思えばすぐにできるはずだ。