無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと8485日 千秋寺山天神山トレッキング再開

今年も残すところあと一日となった。昨日山納めと称して、千秋寺山と天神山に行ってきた。普段は往復90分のトレッキングだが、この日はカメラを持ってゆっくりと2時間ほどかけて歩いた。

虫も蛇も蜂もいないし蜘蛛の巣もなくなった冬枯れの山道を、誰にも会わず、ただ踏みしめる枯れ葉の音を聞きながら歩くのは本当に気持ちがいいものだ。枝越しに見える青空、流れる白い雲、赤や黄色に色づいた枯れ葉とのコントラストが美しい。

高い山には高い山なりの面白さがあり、登った時の満足感や達成感もあるのだろうが、低い山には低い山の魅力がある。その魅力が最高に発揮されるのが冬の季節だといえる。

今年の正月から始めた山登りもまる1年たち、春夏秋冬を経験してみていろいろわかってきた。気温が15度を超えた4月の初め頃に虫が大量発生して防虫ネットを購入し、5月には予防措置をしていたにも関わらずマダニにかまれて病院にもいった。

6月23日に今年初めて30度を超え、寝るときに初めてエアコンを使った。その日の手帳をみると「今日は山は中止」とある。その翌日24日に行って気分が悪くなり帰ってきた。この日を境にして千秋寺山天神山トレッキングはやめにして、登山道が整備されて手軽に行ける城山登山に変更した。

私の場合、目的が体を鍛えるということなのでとにかく登ればいいと思って、6月から登り始めた城山も100回を超えた。それも楽しいことは楽しいが、やはりマンネリ化して少し物足りなくなってきたので、気温も下がった12月6日に千秋寺山天神山トレッキングを再開したということだ。これから5月頃までは楽しめるだろう。

 

さて、せまる増税、物価上昇、来年もどうなりますことやら。

来る令和5年が皆様にとってより良き年となりますようお祈り申し上げます。

1年ありがとうございました。