先日近所の方が、千秋寺の門前にジャカランダの花が咲いていると教えてくれた。ジャカランダとは初めて聞く名前だったが、世界3大花木の一つに数えられていて、南米ではポピュラーなもので、本当にきれいな花が咲いているから是非見にいったほうがいいと強く勧められた。気温も30度を超えていたのでどうしようかと躊躇したが、年寄りの話だけではピンとこないのでとにかく自転車で出かけてみることにした。
千秋寺とは黄檗宗の寺で、子規の俳句にも出てくる、この辺りではけっこう有名な寺だ。
「山本や 寺は黄檗 杉は秋」
「絵を描きし 僧今あらず 寺の秋」
行ってみると、門前とはいっても門前に会社を構える「天龍ファイアペック株式会社」が敷地内に植えているもので、薄紫色の大きな花がぼつぼつ咲いていたが、まだ少し早かったのかもしれない。
千秋寺は来ようと思えば自転車で10分くらいで来られるが、考えてみるともう50年も来たことがなかった。そこで来たついでに寺の中も自転車で走ってみたところ、まず驚いたのが杉の大木が無くなっていたことだ。全部切り倒して駐車場になっていた。これには子規もがっかりだろう。
このあたりは、寺の裏山に当たる御幸寺山の登山口のひとつになっている。子供の頃はよく遊びに来たものだったが、最近ではここから登る人もいないようで、墓地の先にある登山口あたりは草木に覆われていた。
最後にここから登ったのが21歳になる年の10月だったから半世紀も前のことになってしまった。今は荒れ果てているが、あの当時は登山道もきれいで、途中で人とすれ違うこともあったし、遊んでいる子供たちの声が聞こえることもあった。このまま登ってみたいという衝動に駆られたが、気温30度を考えると、行き倒れても困るので今回はやめておいた。
そうそう、悩み多き大学生に出会ったのはその最後に登った時だった。20歳の私はほとんど走るように一気に頂上まで登って、そこから少し下ったところにある、眼下を一望できる岩までやってきた。するとそこには体育座りに座って下界を眺めている若者の先客がいた。後姿が寂しそうで、このまま飛び降りるんじゃないかと心配になった。
近づいて「こんにちは」と挨拶をして横に座った。最初は少し驚いた様子だったが次第に打ち解けて話をするようになった。どうやらこの人は学生運動をやっていたので就職が難しいということを心配しているようだった。学生運動が盛んな頃で、熱中したことを非常に後悔していた。
私のことを聞いてきたので、来月から練習船に乗ることや来年4月からは遠洋航海実習でブラジルへ行くこと。卒業後は外国航路の船乗りになることを話すと、やることが決まっているというのはいいなあと羨ましがって、自分は浮草みたいなもので、先が全く見えないとため息をついていた。
私自身一番調子に乗っていた時期だったので、何を偉そうに言ったのか今から思えば汗顔の至りだが、それから2年後、この学生と同じく私自身が浮草のように先が全く見えない状況に陥ってしまうとは、この時は想像もできなかった。
話しているうちに日も少し傾いてきたので、そろそろ下りますかと誘ったが、その人はもう少し眺めていますと言うので、お互い手を振って別れた。あの人はどうなったんだろうと今でも時々気になっている。
せっかく今回ジャカランダに導かれて50年ぶりに登山口近くまできたんだから、20歳の時のように走るように登るのは無理としても、途中で休憩しながらでも近いうちに一度登って登山道を確認してみたい。