86歳になる独身の友人Gさんが、最近になって急に自分の最期を強く意識するようになった。老人ホームへの入居も決めたが、それで不安が消えたわけではない。むしろ、 どのように人生の幕を引くのかを考え始めると、夜も眠れなくなるという。兄弟も高齢で頼れず、甥や姪に負担をかけるのも気が引ける。金銭的な心配はないが、認知症になったときの不安が大きく、その時に自分の判断を託す相手がいないことが、何より心細いのである。
相談の末、私が任意後見人を引き受けることになった。もっとも、実際に役目が生じるのはGさんが判断能力を失った場合に限られる。それでも責任は軽くないため、家族とも話し合い、先に私が認知症になった時には妻や長男が引き継ぐ形を整えた。こうしてGさんは一つ安心を得たが、次に立ちはだかるのが、長年暮らした家と膨大な持ち物の整理である。
八十余年の蓄積を処分する作業は容易ではない。だが、これを終えなければ前に進めない。進め方としては、まず重要書類や本当に残したいものだけを選び、それ以外は人に譲るか処分するという割り切りが必要になる。思い出は物に宿るのではなく、自分の中に残るものだと考えなければ、手は止まってしまうだろう。
とはいえ、こうした準備をどれほど整えても、不安が完全に消えることはない。認知症への恐れも、死の迎え方への迷いも、誰にとっても避けがたいものだからである。大切なのは、それらを消そうとすることではなく、不安を抱えたままでも日々を過ごしていく覚悟なのだと思う。
人は最期の瞬間を選ぶことはできない。しかし、そこへ向かう日々の過ごし方は選ぶことができる。誰と会い、何を感じ、どのように一日を終えるか。その積み重ねが、結果としてその人の最期のかたちを静かに形づくっていく。
結局のところ、人は一人で死ぬ。しかしそこへ至る道のりまで孤独である必要はない。誰かに少しだけ頼り、少しだけ任せながら生きていく。その不完全さを受け入れることが、穏やかな終わり方につながるのではないかと思う。