父景行天皇に命ぜられるまま、東夷を平定したヤマトタケルはその還路、三峰山、足柄峠を越え酒折峠に来た時「にいはりつくば」の歌を詠んだ
「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」
すると、焚火の番人が答えた
「かがなべて夜には九日(ここのよ)昼には十日を」
この連句の逸話からここ酒折宮は連句、連歌の名所となっている。

東京から行くと甲府の手前にある酒折駅は山梨学院関連の建物が多く、そこの学生生徒の乗り降りが多い。現代でも多くの連歌会が催されているようなので、敷地内にそんな施設でもあるのかと思ったが、閉じられて人気のない社務所があるだけで、全体的に雑然とした感じが漂っていた。
本殿の前で動画撮影していた女性がいたので、ユーチューブに動画を挙げているのかと尋ねると、動画撮影はしていないと否定された。たしかに今カメラを構えて撮っていたはずだが、あれは目の錯覚だったのだろうか。そこまで否定しなくてもいいだろうに。変わった女性だった。

倭建命(やまとたけるのみこと)という名前は子供の頃から聞いたことはあったが、景行天皇の皇子であり、仲哀天皇の父でもあり、生きていれば天皇になる地位にあったということは、古事記を読むまで寡聞にして知らなかった。そもそも実在の人物だということさえ知らなかった。
古事記を読み始めて13年、その間古代史の見方は随分変わった。神話を絵空事として切り捨てる子供の頃から習ってきた文献歴史の傲慢さや底の浅さに気が付いた。古事記神代巻の中には気が遠くなるほどの時間が詰め込まれているはずだ。そのような神話は映画を見る感覚ではなく、音楽を聴く感覚で読まなくてはわからないのではないだろうか。
本殿前で祝詞をあげたのち、境内を回ってみたが、能褒野王塚古墳ほどの感動は無かった。